11月1日、アメリカの29歳の脳腫瘍の女性が安楽死しましたが、その行為は賛否両論の議論になりました。人は、どんなに高度な医療を受けたとしても、永遠に生きることはできません。その死が、老衰のように安らかなものであり、家族に見守られての臨終であれば幸せなことですが、必ずしもそうではありません。この女性のように、“末期がん”の場合には、しばしば壮絶な痛みが伴います。その時に自ら死を選択することに対して、反対することが出来るのでしょうか?もし、自分がその立場だったら、どうするのでしょうか?もし、それが愛する家族であったなら、苦しみながらも生を全うすべきでしょうか?家族には生きていて欲しいと思う反面、苦しみをみるのは非常につらいことなので、死によって楽になった方が本人の幸せではないかとも思います。どちらの考えが正しい答えなのかは、いくら議論しても結論に達しないと思います。何故なら、立場の違いによって、導かれる答えが違うからです。
アメリカでの安楽死の反対意見の理由の1つには、宗教が挙げられます。アメリカ人の多くはキリスト教です。キリスト教の場合は、自ら命を絶つことは、末期がんであっても教義に背くことになるのです。信仰は自由ですので、この方たちは教義のようにすればよいと思います。同じ海外であっても、フランスの尊厳死協会によると、96%の方が積極的安楽死を望んでいるそうです。しかし、フランスは日本と同様に安楽死の法律は有りませんので、耐え難い苦しみがあったとしても、医師による安楽死はできません。安楽死を望む人は、合法化された国(フランスの場合は、隣国のスイスなど)へ行くことも、珍しくは有りません。
日本での考えはどうでしょうか?死と間近で向き合っている医療関係者の考えは、賛否両論あるものの、安楽死の合法化を支持する方も多いと思います。何故ならば、彼らは患者の壮絶な苦しみを日常的に目の当たりにしているので、自分や家族がこの状態になったなら、死の選択の方が幸せと思い、自分の最後は自分で決める権利があると考えるようになっているのでしょう。
しかしながら、私がこの会社に来てから、病院で末期がんの余命宣告をされた患者が美露仙寿で社会復帰まで回復された事例を何人も経験しました。従って、安易に安楽死を受け入れず、回復に向けて最善の努力をすることは不可欠です。その上で、耐え難い痛みとの戦いになった時には、本人の意志が尊重されるべきでしょう。皆様は、如何お考えでしょうか?
安楽死と尊厳死の違い:苦痛を長引かせないことを主眼に、人為的に死なせるのが安楽死。薬物を使うなどして死期を早めるものを積極的安楽死、積極的な治療の中止によるものを消極的安楽死と呼ぶこともある。尊厳死は患者の意思に基づいた死期の決定で、患者の意思による延命治療の中止を尊厳死と呼んでいる。